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御祭神
主祭神

大日靈女貴命
(おおひるめむちのみこと)
 大日靈女貴命(天照坐皇大御神)は皇室御歴代の御祖先の神様であると同時に、我が国第一の神祇と称される尊き御祭神である。

建速須佐之男命
(たけはやすさのおのみこと)
 京都は東山に御鎮座する八坂神社にお祀りされる須佐之男命は、神仏混淆の時代には午頭天王の名で信仰されてきた。同神様は大変御神威が強く、御霊験はあらたかで全国各地に勧請され、鎮座されている。
  八坂神社は古来『祇園感神院』と称し、暦の巡行をつかさどり疫病・災難を祓い退ける神として現在も盛んに天王祭と呼ばれる祭が各地で行われている。
大山津見命
(おおやまつみのかみ)
 丹沢山系大山の山頂に本宮を持つ大山阿夫利神社にお祀りされる大山津見神は、古くは石尊大権現と称し、修験の聖山であった。同山は大変雨が多く、雨降り山から「あふり」の名が生じたともいわれる。
  農耕の民からは祈雨の神として、また漁業の民からは漁場を知るために大山の見え方で判定する「山アテ」の目印、また港へ帰る際の目標の山として信仰を集める神社である。当地においても半農半漁の時代から豊漁・豊作の神としてお祭りされている。
木花咲耶比売命
(このはなさくやひめのみこと)
 富士山を御神体とする浅間神社は江戸時代に「富士講」の信仰団体を形成し興隆を極めた。当神社においても富士講の講碑があり、弘化三年(1846年)の刻銘が確認できる。富士講や富士塚は、直接富士山を遥拝できる場所に現存している例が多く、当神社の旧境内地である本牧塙に鎮座していた時代の風光がしのばれる。
  火難消除・子育ての守護神として親しまれている。

八王子大神
(おはちょうじさま)
 (八柱御子神・おはちょうじさま)本牧神社より約二キロメートル南西に旧境内地があり、明治三十六年、明治政府の合祀令により当本牧神社に合祀された。本来は単独の境内地と社殿を持つ社であり、旧牛込村の鎮守であった。御祭神は陰陽五行の神にそれぞれ配置されていることから、方位除け、方違え、地相・家相除けの御霊験を垂れ給う神である。
八幡大神
(はちまんおおかみ)
 八幡大神は古くから此の地を守護する神としてお祭りされていたが、御由緒は定かではない。源頼朝公が鎌倉幕府を開くにあたり鬼門守護の神社に厨子ほか幣帛を奉られたことが伝えられており、往古から武家政権より信仰厚い神である。源氏の氏神である八幡大神は坂東の武士より武門の神として信仰され、現在でも心身練成、勝運守護の御神徳が広く慕われている。

宇氣の稲荷社  宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をお祭りする。この神は稲荷大明神の御神号で親しまれ、五穀豊穣の神として古くから崇敬された神であり、天慶五年には正一位の神階を贈られた。当神社では御社号に『宇氣』の文字を冠し、『保食(うけもち)=食べ物』を意味している。食べ物は人間生活の基本であり、また、富の象徴でもある。
  同神社は大漁・豊穣・商売繁盛・開運招福に御霊験あらたかな神である。
 末社社殿建立にあたっては、伊勢神宮外宮・豊受大神宮の御神璽も新しく勧請された。
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熊野速玉社  古くは熊野龍王権現と見え、末社として祀りされていた。御本社熊野大社は熊野三所権現と称され、和歌山県紀伊半島の南部に三社それぞれ御鎮座される。
  当氏子地区が漁業の盛んな地域であることから、さらなる大漁満足・航海安全の霊験あらたかな大神としてお迎えされたと考えられる。
 御祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)・熊野夫須美大神(くまのむすびのおおかみ)を奉祀する。同社に隣り合わせて榎木の樹がそびえ、榎木は「縁の木」につながることから、木の周りを左回りに三度回れば良縁に恵まれ、逆さに三度回ると悪縁を断ち切り、さらに新たな良縁に恵まれる御神徳あらたかな神として崇敬を集めている。
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本牧水天宮  『新編武蔵国風土記稿』にも古くから社殿の右側に鎮座する末社としてその名が見えるが、創祀の時期や由縁は定かではない。安徳天皇を奉祀し、子授け・安産・子供の守護神としての御神徳があり、とりわけ『母子安泰』の鳥居をくぐると安産の御霊験が得られる。またこの神は海峡や港にお祀りされることが多く、当神社においても海運・漁業とゆかり深き土地柄から、海上安全の神としても信仰されている。
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本牧天神社  同社は当氏子地域に古くからお祀りされている社である。
  菅原道真公を奉祀し、才知にあふれた御祭神の学業成就、芸道・詩歌・舞踊成就の御神徳により、数多の人から崇敬を集めている。
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 明治三十九年、明治政府により「近隣の中小神社は、当該地域の有力神社に合祀・統合せよ」という旨の『神社合祀令』が発令され、本牧地区に点在していた六社のお社の御神霊が、当本牧神社に合祀され、境内に摂末社として祀られた。本牧神社は摂末社の神々と共に先の大東亜戦争の敗戦により、米軍による強制接収を受けた。神々は昭和二十八年に本牧二丁目に建立された仮社殿の御本殿深く祀られ続け、それぞれの大祭式も慣例通り斎行されていた。平成五年、米軍の接収解除により、本牧和田の新天地の現在地への御遷座を機に更なる御神徳発揚を願い、氏子崇敬者有志の勧進により、それぞれの社殿を新たに構え、本殿からお遷り頂くことができた。

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